役夫工米の免除

幕府奉行衆の奉書は、数多く伝わっている計りで無く、史料として大いに役立つものが少なくない。〔三二六〕に挙げたものは、応永三年十月廿八日、越中守護に、祇園社領同国堀江庄高木村の役夫工米が免除の上は、催促を止むるようにその幕命を伝えた奉書である。とのことです。

何れも奉書と云っている

前掲の奉書とこの奉書との発せられる場合を比較して見ると、前者の方が後者よりも重要な事柄を取り扱って居り、或いはその充名に於いて前者が後者よりも地位が高い者となっているようである。かように様式のみならず、また発する場合に於いても両者相違しているけれども、何れも奉書と云っている。とのことです。

 

 

 

 

折紙、付年号、実名書

この文書の様式を観察すると、第一に料紙の中央に一つの線がある。これは料紙を二つに折った折目である。かく折ってその片面に文言を書いたのである。文言が長くなれば両面に及ぶこともある。かくの如く用いた紙を折紙と云う。図版は便宜上両面を拡げて示した。第二に、年号が月日の肩の所に書いてある。この奉書に限らず、かくの如く記したものを特に付(つけ)年号と云う。第三に、差出所に実名が書いてある。要するにこの奉書は、折紙、付年号、実名書の三つの点が一致して、一つの様式を形成している。とのことです。

室町幕府奉行連署奉書

其の二は、(略)

この文書は、幕府の奉行布施貞基、飯尾為数が東寺の雑掌に充てたものである。山城国中の土民が一揆を起こし、徳政を企てるので、之を禁遏する為に、其の張本人を捜査し、居所と人名を、偽なき旨の誓詞を載せ注申する様に、東寺をしてその寺領内の名主百姓に触れしむる為に、この文書を発したのである。とのことです。

幕府奉行飯尾宗勝、同之種の奉書

 室町幕府奉行奉書

管領の奉書施行状に次いで、幕府の諸奉行からも奉書を多数出している。大体その種類が二つあった。其の一は、(略)

この文書は、幕府の奉行飯尾宗勝、同肥前守之種の奉書である。石清水八幡宮の社頭に於いて紀氏神人等が争闘を為し、流血の事あって神体が遷座した為、先例に従って本社を造替する事となったので、丹後守護一色義直にその造営料の勧進に応ずるように促したものである。前掲の管領の奉じた御教書とこの奉書とを比較すると、その様式に於いて全く同じであることが判るであろう。とのことです。

将軍家の御教書、管領の施行状

次にこの御教書に属する文書の一例を図版に示すと上の如きものである。

(略)

この文書は、幕府の管領斯波義将が将軍の意を奉じて伊豆守護上杉朝宗に充てた奉書である。之を将軍家の御教書とも云い、又管領の施行状とも云う。施行状とは、この文書の中に見える如く、去年七月廿四日の安堵即ち将軍の花押を署した御教書(下文とも云う)に任せ、即ちその旨を承けて、それを実行する為に、この事項に関した土地の守護人に向けて発したものであるところから起こった名称である。とのことです。