(略)
右の文書に御教書とあるは、征西大将軍宮懐良親王の令旨を指す。令旨に依り恵良惟澄に肥後国守富庄半分地頭職を充行われたが、河尻氏一族が之を惟澄に渡付しないので、同国守護菊池武光が令旨を承り、使節として窪田越中介を遣わし、守護代と共に、下地を惟澄に渡付せしめるためにこの文書を出したのである。とのことです。
第一〇種 施行状・遵行状
以上は文書の差出者がその文書に依って直接意志を伝えているのであるが、差出者が上位の者から送った文書の意を受けて、之を下に施行するために出すものも極めて多い。鎌倉時代に於ける一二の例は既に挙げたが、ここにはその後の実例を示すこととする。とのことです。
内容が一つ書になっているから事書状と申してもよいであろう。年寄奉行衆から出した手形の一種と見ることもできる。秀吉が人払を行ったのは、天正十八年関東の北条氏討滅に依って、全国がその一手に統御せられて来たのに依るものであって、この人払に依って全国の人口が判明し、その結果が国政の運用に大いに効用をもたらしたことは申す迄もない。とのことです。