2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

解と処分状との中央に「毀」の一字

解と処分状との中央に「毀」の一字を大書し、その上に職印が捺してあるのは、この後延喜七年十月十日に、さらにこの家地の売買があって、同様の手続きをとった時に加えたものであろう。 「毀つ」とは、売買の行為を証拠づける文書の効力を否認する意味であろ…

捺印によって売買の券文が成立

この解を受けた左京職においては、左京職云々の文言をその奥に書き、取り扱った年月日を記し、終わりに大夫、亮以下の職員が署名を加えている。「左京職判ス」とは左京職の判を捺すという意味、「家券二通を収む」とは、令から売買に関する解二通を受けた意…

辞状を受けて審査を加え、誤りなかったので解を作る

第一行「七条令解 申立売買家券文事」は、解の書出しの例文である。 第二行「合壱区地肆戸主 在一坊十五町西一行北四五六七門」以下の六行は、売買した家地とその地上にある家屋の種目の大きさを示している。戸主とは家屋の敷地の広さを示す。 第七行「右、…

四坊に令(れい)ひとりを置く

第一六図は、二通の文書から成っている。はじめが、解の様式で、京都左京の七条の令が、その管内の者が家地即ち敷地を売買したことを、上官たる左京職に上申し、その認可を請うために進めたものである。 京都はこれを各坊に分け、坊ごとに長一人を置き、さら…

家地売買の解

正倉院文書のなかに前記戸籍等とともに数多く伝わっている諸帳のなかからその一例として天平十二年の遠江国浜名郡の輸租帳を示すと〔六一〕のようなものである。 なお、前掲国司の解に引用してある郡解と申すものを例示するに、〔六二〕は、紀伊国在田郡司が…

大書、壹、貳、參、肆、伍、陸、漆、捌、玖

第一五図の右端の部分は、戸籍一巻の表題である。当時の戸籍の外形をこれによってうかがうことができる。冒頭の廿二張の三字は別筆であるが、当時加えた筆跡と思われる。紙の量を呼ぶのに何枚といわず何張と言っている。 戸籍は正楷を以って謹書する定めであ…

大日本古文書の誤り

〔六〇〕に校訂者註がついてました。 大日本古文書にはこの奥に大宝二年十一月の日付及び国郡司の署名を記した断簡を載せている。郡司の署名には「福善」とあるが、これは御野国味蜂(安八)郡春部里戸籍の署名の部分にも見えている。春部里戸籍の署名の部分…

我が国古文書の最古、大宝二年の戸籍

正倉院文書には、計帳もあり、計帳を基にして、六年に一度作った戸籍も伝わっている。国司から注進したものだが、明らかに解の形式をとっていない。解の式をとった計帳等と関係が深いので、便宜上ここに挙げて説明する。これら戸籍のうち、大宝二年のものが…

四度使(よどのつかい)公文を持参して上京

諸国司から中央の太政官に上げる文書はすべて解を用いた。前記下総国・但馬国のものはその例である。これは臨時に奴婢貢進に関して上げたものであるが、国司から時を定めて奉る文書にも解を用いている。 四度使(よどのつかい)すなわち大計帳使が、年々戸口…

自署と花押との使い分け

解は広い範囲に亙って用いた。〔五八〕神祇官→太政官、賀陽致貞を備中国の吉備津彦社神主代官に補せんことを請うために出したもの、端裏書は、この解には関係ない記事、次の「依請」、請うに依れの二字は、解文に依る申請を裁許せる意味を表したもので外題と…

充所を書かない、解

解は官司において被管から所管に上げる文書である。符と逆である。解には官司に準ずる所、若しくは諸家諸人から、その上に位する所に向かって上げる文書もあった。 第一四図 下総国司→太政官 国司は太政官の被管だから、解を以て上申したのである。下総国香…

太政官奏の奏事式と便奏式

〔五七〕は太政官奏、奏事式の一例。類聚三代格。 公式令によると、年月の次に太政大臣以下三公大納言の位署があり、次行に「奉勅依奏」と裁定せられし趣を、もし勅語があれは、その趣を記し奉り、次に大納言が位署を加えることとなっている。奏事式には、御…

太政官から奏聞して勅裁を仰ぐ、奏

第八類 奏 奏は、太政官から事を奏聞して勅裁を仰ぐために上げる文書である。公式令に奏聞する物事の軽重によって、論奏式、奏事式、便奏式の三種に分けている。奏の正文は伝わっていない。六国史もしくは類聚三大格に収めてあるものによってみるにすぎない。…

消息書状と体裁を同じくする牒

〔五三〕安都雄足→東大寺写経所の案主等、写経の事務に関して出した牒、端裏に差出書を記して封を加えている。のちに現れてくる私信たる消息書状とその体裁をおなじくするものである。 〔五四〕池原禾守の牒のごとく宛所を欠き、単に書き出しに牒と記したも…

近代絶えて奉らず

〔五一〕僧教演→写経所 書き出しが牒云々とあり、公式令の示すところにより近似した書式を具えている。 〔五二〕台記に載せてある藤原頼長の暇文、公式令の牒式と極めて似ている。本文中には出ないが、蔵人所に奉ったものである。台記には、暇文は近代絶えて…

個人である官人から出した牒

官司の間において、所管被管の関係にある場合、下位の者から上位の者に上げる文書の式は解であって、これについては公式令に規定が示してある。ここにいう牒式は、そのような官司の間におけるものではなく、個人である官人から出す文書のことである。 〔五〇…

個人から出す牒もある

以上述べてきたのは、官司もしくはこれに準ずべき者から出す牒に関するものであった。牒には、このほかに個人からだすものもあった。公式令に、内外の官人主典以上が、事に縁って諸司に申牒する文書の書式として牒式が挙げてある。 書き出しに「牒す」と記し…

「牒」と書くか、「下」と書くか

牒の特質 移は相管隷しない官司の間に用いることに限っていた。ところが牒は、差し出す側に官司もしくはこれに準ずべき者があり、受けるべき側にも範囲に限定をみない。所管・被管の関係に無い者の間で取り交わすものとなり、従来の移の性質に成り代るように…

珍しい少弐氏の守護所の牒

下文と牒との相違を示す例として、少弐氏の守護所の文書を挙げることができる。少弐氏は九州の三前二島、筑前・豊前・肥前・壹岐・対馬の守護職を持っていたが、守護所から地頭御家人には下文を、社寺に対しては牒を出した。 〔四九〕肥前国守護所→武雄社 こ…

院宮諸家等の牒

牒は、院宮をはじめ三位以上の諸家、四位已下の諸宅からも出している。 〔四五〕大納言藤原仲麻呂の家→東大寺 〔四六〕右大臣藤原忠平の家司→丹波国司(家印あり。判然としないが貴重) 〔四七〕八条院庁→醍醐寺の遍智院 〔四八〕筑前竹野庄→観世音寺(荘園…

「仏物」「僧物」

〔四四〕伊勢国多度神宮寺の縁起資財帳、末尾に検察すなわち伊勢尾張両国の国師と僧綱所の署判が加えてある。これによってこの注進に證文としての効力がついた。 料紙は、横罫を以て天地をとり、その中間に横罫を一線引いてその上部に横罫線を引き、竪にまた…

僧綱所から出した文書は、悉く牒

僧綱所から出した文書は、悉く牒。公式令移式の条に、同所から諸司に出す文書は、移式に準じてただ「移」という文字を「牒」に代えよとある。〔四二〕は、僧綱所→東大寺、〔四三〕は、大和弘福寺→僧綱所、同寺領の田畠の注進で「僧綱、依三綱牒」以下は、僧…

太神宮司の牒

牒は社寺からも出している。 第一三図、太神宮司庁→斎宮寮、「大神宮印」が二十二顆捺してある。 斎宮寮は、宇多院から伊勢国飯野郡にある東大寺の寺田を検査すべきについて、これを神宮司に伝えるようにとの命を受けたので伝えた。神宮司においては、官符に…

一通なりとも疎かに扱うことはできない

雑訴決断所は、いつ設けられたか、正確に知るべき史料に欠けている。初見は、〔四一〕雑訴決断所→河内国国司(沙汰居は、沙汰しすう)で元弘三年十月八日附であり、十月初旬以前に設けていたことがわかる。 しかし一通でも日附の早いものが現れれば、それだ…

留守所・郡司・令外官の牒

国司の遥任の制度が著しい時代には、在国の留守所から被管にあらざる所に牒を出している。〔三六〕は、紀伊国留守所→金剛峯寺。多くはない。 郡司からも牒を出した。〔三七〕は、大和国添上(そうのかみ)郡→同国使。これも多くない。 令外官のものとしては…

八省・大宰府・国司の牒

八省の牒は少ない。第十図は 治部省 → 円珍 の牒。「内侍之印」が十二顆捺してある。このとき補任された内供奉持念師が、宮廷に参内して護持僧として任に就くのであるが、それが後宮職である内侍司の司るところだったので、捺されたものであろう。 大宰府は…

官牒は、官符とも呼ばれた

牒においては、日附の下と日附の次の行に位署がある。符は日附の前である。ここが相違している。牒のなかに、誤って符の書式をとったものがあることは前に述べた。 太政官から出る牒を符と呼んだことが平安時代の文書記録に散見している。符も牒も太政官から…

超長文の文書、後三条天皇の荘園整理

〔三十〕うーん。きました。下巻で15ページにわたっています。「古文書には一通にしてかゝる長文のものもある一例として、部類篇に全文が収めてある」と、相田先生も楽しんじゃってますね。 まずは大観しましょう。太政官→石清水八幡宮護国寺にあてた牒です…

自署名から草名そして花押へ

第八図の続きです。 図版では最後の行の冒頭に「共」と読める字があるのですが、活字では抜けているようです。共の字であってるかどうか、東京大学史料編纂所の平安遺文フルテキストデータベースで検索したところ、、、ありました。「共」でよいようです。 …

看守さん、偉業を達成!?

第七類 牒 に入ります。 第八図の文書です。冒頭に三人の名前が出てきます。 従四位上守宮内卿兼行因幡守石上朝臣家成 従五位下行官奴正大春日朝臣浄足 外従五位下行内薬侍医兼佑廣海連男成 佑=「じょう」(次官)佐藤氏p.71 内薬司「正(かみ)、佑(じょう)…