2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

異賊襲来を警戒

先づ敵船の襲来を発見するや、之を逸早く陸上に報告する為に、壱岐島から次々の島々に烽火を設けしめ、之が練習を行わんが為、その命令を肥前国大島にをった御家人大島又次郎に伝えた文書である。之に依ると壱岐島の烽火を大島にて見て之を次ぎ立て、鷹島に…

鎮西奉行兼時の命を肥前守護定宗が施行した文書

更に右の如き施行状に類する文書の一例を、図版に依って示すと左の如きものがある。 (略) 先に説いた北条時定の子定宗が、肥前国守護人として鎮西奉行人北条越後守兼時の烽火に関する命令を管内の地頭御家人に伝える為に出した文書である。とのことです。

肥前国御家人龍造寺氏

この文書は、弘安十年肥前国の守護北条時定が、この異国警固に関する関東の御教書を施行する為にだしたものである。この年特に用心すべき必要ありとして、肥前国中の地頭御家人とこの他に庄園の本所にのみ属していて、幕府の指揮を仰ぐべき地位に無かった預…

異国警固役

は 守護施行状・書下 右に説いた高政の問状は、関東の御教書を承けて、下に施行しているのであるから、又之を施行状と称しても差し支えない。之と同類の守護の施行状の一例を示すと〔三六六〕の如きものがある。文永十一年の蒙古襲来後、尚この事あるを予想…

訴訟の相論に関するもの計りではない問状

下知状の中で、安堵外題を譲状に加えることの説明で述べたように問い尋ねた二条に対する返答如何に依って裁許するのである。この二条を問う文書も問状と称している。問状は訴訟の相論に関するもの計りでは無い。尚訴人の出す訴状をも、その別名として問状と…

肥後守護規矩高政の問状

ろ 守護問状 更に守護の出す文書の一二の種類を挙げると、〔三六五〕は嘉暦二年五月十日、肥後国人吉庄の地頭相良蓮佛の女子尼妙阿が、同庄南方刁(寅)岡名地頭職の襲領安堵を幕府に申し請い、幕府がこの申請に対して、その地頭職が現在知行しているものか…

薩摩守護島津忠時の安堵状

次に〔三六四〕は、正嘉元年八月廿二日、薩摩守護島津忠時が、同国比志島太郎の所領知行を認知する為に出した文書で、安堵状と申すべきものである。とのことです。

北条重時の補任状

第三種 鎌倉武家書下 鎌倉時代から吉野時代にかけて、守護等の下に向かって出す直状を書下とも称した。 い 守護等補任状・安堵状 ここに幕府并に探題に直接関係の無い文書を挙げると、〔三六三〕は建長元年十一月三日、北条重時が、庄四郎と云う者を、伯耆北…

召文御教書

は 召文御教書 次に〔三六二〕は、嘉暦元年九月廿七日、鎮西探題北条英時が博多聖福寺に、櫛田宮修理料に関する同宮の訴訟に対し、日限を切って雑掌、即ち訴訟に対して陳弁する者を出頭せしむるよう促したものである。かく陳弁する者を召喚する為に出す文書…

問状御教書

陳状とは、訴えた人即ち訴人の出す訴状に対して、訴えられた人即ち論人から、辯疏する為に出す文書のことで、かく陳状を促す為とか、或いは諸事に就いて問い尋ねる為に出す文書は、特に之を問状と云う。右両通は共に六波羅の御教書と称するのであるが、後者…

陳状を出すように促した文書

ろ 問状御教書 次に〔三六〇〕は、延慶元年十一月九日、六波羅南方金沢貞顕から播磨国の廣峯社の祠官廣峯兵衛大夫の遺族に、京都鴨河堤修理料進納を催促する為に出したもの、〔三六一〕は、弘安三年八月廿日、六波羅北南両方連署で、高野山蓮華乗院学衆に、…

執権連署の直状

又〔三五九〕も、執権連署の直状の形式を具えたものである。建長四年十二月十二日、幕府から石清水八幡宮権別当善法寺宮清に別当職に関しては、関東より関与せざることを告げたもので、御口入に及ばずとの文言に、仰せを奉って出した意味が現れている。との…

執権北条時宗の直状

〔三五八〕に挙げたのは弘安三年九月五日、執権北条時宗が、幕府から東福寺の圓爾(聖一国師)に加賀国熊坂庄一方を与えた下文を送り、寺用の欠くるところあるに依りかく取り計らいしことを国師に伝えたものである。仰せに依って云々の文言が無いから、時宗…

六波羅の御教書

かように六波羅から探題が直接出す形式の文書を発していたが、之を皆六波羅の御教書と称した。関東に於いては、執権連署の奉書が多く出ていたことは既に述べた通りであるが、又奉書の形式でなく執権連署が直状の形式で出しているものもある。之はこの文書に…

北方時敦が死没して後任者が決まっていない時期の文書

第二種 鎌倉武家御教書 い 御教書 (略) この文書は、六波羅から安芸国御家人兒玉七郎に、海上警固の結番(順番)に関して命を伝えたものである。差出所は南方陸奥守惟貞一人の署判となっているが、この年五月廿四日北方の時敦が死没して後任者が定まってい…

伝奏(てんそう)家の諸大夫が主人の仰せを受けて出す奉書式の伝達状もある

図版は本紙一枚を示したが、もとは之に礼紙が添い、封紙も懸かっていたのであろう。 尚之と同じ例を挙げると、〔三五七〕の如きものがある。かように伝奏が諸事についてその申次を扱っている社寺に伝達の書状を出し、これが直状の形式をとっている。尚この伝…

後陽成天皇の勅旨による日本書紀の開板

第一式 日下署判直状 第一種 伝奏伝達書状 (略) 後陽成天皇の勅旨に依り慶長四年閏三月、日本書紀の開板が出来し、之を諸社に奉納せられたが、右の文書は之を石清水八幡宮に納むるに当り、その趣を同社伝奏広橋兼勝が、社務田中秀清に伝える為に出したもの…

書札様の中の直状

袖署判の直状は、袖に差出所として花押が据えてある文書であるから、この点に於いては、袖判の下文と類似したものであり、この一変形と見ることもできるであろう。然し日附の次行に充所があることは、書札の様式を具えていると見るべきである。ここではこの…

日下署判の直状と袖署判の直状

第三類 直状 御教書并に奉書を総括して奉書としその種類を挙げた、次には直状の種類を挙げべき順序である。この直状を書式の上から見て之を二つに分けることができる。その一は日附即ち日下に差出所を表し、その次行に充所を記すもの、その二は袖に判を加え…

安芸毛利氏が周防国国分寺に出した禁制

第二種 禁制 尚武家文書に於ける一例を挙げると、〔三五六〕の如きがある。弘治三年八月十七日、安芸毛利氏が周防国国分寺并に法華寺(国分尼寺)に出した禁制であるが、日下以下に年寄五人が連署し、袖に隆元が加判している。禁制であって、下したところを…

文書の内容から去状、形式は奉書

次に〔三五五〕に挙げたのは、至徳三(元中三)年十月十三日、東寺領女御田内須久多と申す田地九段を、同時雑掌に去り渡したときの文書で、形式は正にこの部類にはいるべきものである。久盛と申す者が、左兵衛佐の仰せに依ってこの文書を出したのであって、…

書止めに長者殿候所なりとある

次にこの書式に属する文書として、左の如きものもある。 (略) この文書は橘氏是定宣であって、助律師経尊と云う者をして、梅宮社敷地田一所を、永く領有せしむる為に出した文書である。書止め例文に長者殿候所なりとあり、その長者が袖に署判を加えた人で…

右馬允高重の奉書というより千種忠顕の御教書というほうが適切

扨てこの文書の名称は、忠顕の仰せを奉ってだしたものであるから、奉書と云えば、右馬允高重の奉書と称すべきであるが、忠顕の袖判のある点に重きを置いて、千種忠顕の御教書と申した方が適切と思われる。とのことです。

文書を受くべき者の地位に依って、奉書に袖判が加えられた

然し単に右馬允高重の奉書にては軽きに失っするところから、袖に花押を加えたものであろう。この文書は、既に記した充所のない綸旨と同じ意味の書式を具えていると云うべきである。即ち文書を受くべき者の地位に依って、かかる形式の文書が発せられたと見る…

伊達道西を招く為に出した文書

〔三五四〕に挙げたものは、(元弘三年)三月廿六日、同じく船上山から但馬国に居った伊達道西を招く為に出した文書であって、之と同じ形式を具えている。 扨て忠顕からかような形式の文書を出したのは、その地位から、かかる文書を受けている人々には、その…

千種忠顕の袖判の御教書

熊谷小四郎平直経相率一族等、可致合戦忠、頭中将殿所候也、仍執達如件、 元弘三年五月十六日 右馬允高重 この文書は、蔵人所左近衛中将千種忠顕の侍臣右馬允高重と申す者が、仰せを奉って出したものあるが、充所を欠いている。袖判を加えた人は忠顕である。…

充所がない長門国宣

立ち位置を確認しましょう。 中編 古文書の形様 第三部 書札様文書 第二 書札様文書 平安時代末期以後 第三式 袖加判無充所奉書 第一種 御教書・奉書 〔三四二附録〕に挙げたのは、長門国宣であって、文書の差出者から云えば、既に述べた国宣と変わりは無い…

充所を書かない袖判の奉書

第三式 袖加判無充所奉書 袖判を加えた奉書で、充所を書かないものがある。充所を書かない奉書と申せば、既に述べた下知状の形式に入るべきものであるが、袖判のあることに重きを置いてことに説くこととする。とのことです。

東国の印判状の一種に奉書が含まれる

之が戦国時代に至ると、東国地方に於ける諸大名の文書には、印判を捺すものが盛んに用いられ、年寄奉行の奉じた奉書は、多くその家の印判を捺して出している。即ち印判状の一種に、この奉書が含まれていたのである。西国地方諸大名の奉書と、東国地方諸大名…

幕府奉行の奉書に倣った越後守護上杉氏の奉書

以上両項に亙って記述した武家奉書の例として挙げたものの中、戦国時代に於ける諸大名のものは、皆西国地方の守護大名から出したもの計りであった。然らば東国地方にはかかる奉書は無かったかと云うに、左様では無く、越後守護上杉氏の如きは、室町時代の中…