2023-01-01から1年間の記事一覧

戦国時代、書札様文書を自筆することは特別の鄭重さをあらわすようになった

ここに於いて自筆と右筆との御内書の間に、儀礼上厚薄の差等が考えられていた。この傾向は更に戦国時代に於ける武将の間にも及び、諸国の守護大名が、書札様の文書を自筆で染めることは、私的の文書以外の場合に於いては、極めて特異の儀礼と考えられるよう…

鎌倉時代から自筆ならざる御内書が多かった

かように武家の人々の直状は、自筆で書かないのあが普通であった。室町将軍家に於いて、将軍が直々に出す書札様の文書、之を御内書と呼んだ。之に就いても既に述べた如く、元来之は自筆で書くべきものであったが、鎌倉時代からの自筆ならざる書札様文書の書…

三條西実隆は公家の慣例から重源宛直状を頼朝の真筆と誤認した

源頼朝が文治三年十月九日附で、東大寺大勧進重源に送った書状が、今同寺に伝わっている。それには日下に頼朝の花押がある、即ち直状である。その奥に天文四年三條西実隆が奥書を加えて、頼朝の重源に遺す真筆であると証明しているが、これは今仔細に研究す…

公家と武家で截然たる区別のあった書札様文書

兼良がかかることを詳しく書いているさいのは、この書礼が、元来武家のものであって、公家の方には通用していなかったからと考えられる。この事実に依って、直状と奉書即ち書札様の文書に於ける執筆者の規式に、公家と武家との間に截然たる区別のあったこと…

武家御教書に倣った一条兼良の奉書

即ち従来は家司の奉書であったが、兼良から武家の御判の御教書に倣って、全文を自から書かず、花押等から成る差出所のみを自から書く形式の文書として之を出したと説明しているのである。之は家司の御教書を直状に代えた事実を示す計りで無く、人に仰せて書…

一条兼良の代に武家の御判御教書に倣った

之は前段に述べた御判御教書の一種類で、全文右筆が書き、将軍が花押のみを自から加えるものであった。当時この御教書即ち公帖に副えて、一条家からも御教書を送った。それは今迄は司の奉書、即ち家司の奉じた御教書であったが、この兼良の代に至っては、武…

東福寺の長老補任の書

室町時代の中頃、かの一条兼良の表した桃花蘂葉の中に、東福寺の条項があり、そこに同寺長老補任文書の形式に関することが見えている。それには次のように書いてある。長老補任の書は、武家から代々御教書を出していた。即ち之が前段に於いて既に説いた住持…

公家では自筆でない直状、奉者の書かない奉書は存在しなかった

而してこの奉書は奉ずる人が必ず自筆を以て書いたのである。直状であれば必ず自筆にて書き、それまでに及ばぬ時は奉書を書かしめ、その奉書は、奉者が自筆にて書く形式になっていた。自筆にあらざる直状、奉者の執筆しない奉書は実に存在しなかったのである…

公家の本人出すべき書札様文書は本人自筆

公家の人々に於いては、直接本人が出すべき書札様の文書は必ず本人が筆を執って認めたのである。然し之は至極の鄭重、或いは親愛さを表した礼儀であって、之れ迄の儀礼に及ぶを要しないこともあったこと勿論でえある。かかる場合には、即ち側近の奉仕者をし…

公家にはない形式は書札様でも私的意義がない武家の文書

将軍家の御判の御教書、御内書、さては守護大名の書下、判物証文類がこれに当たる。此等の文書は、既に前段に於いて、その形様を例示した如く、形式の上から云えば、直接本人が筆を執るべきものであった。然るに全く自筆を執らず、全文を右筆に書かせて、花…

武家では直状でも公的文書として発展したものがある

既に前段に於いて述べたように、書札様文書は御教書、奉書としては、それが公的文書として発展した。之は公家の文書に始まって、武家の文書にも及んだのである。然るに武家に於いては御教書、奉書の形式をとらない、直接本人の出す、即ち筆者の呼んで直状と…

書札様文書における公家と武家との著しい相違

院宮を始め摂政関白以下諸家から出す令旨、御教書、奉書類は、仰せを奉じて文書を作り、差出所に現れるその人が、総べて自から書くのであった。ここにも公家と武家との書札様文書の間に於ける著しい相違がある。とのことです。

公家では奉書を奉じて出す本人が執筆

然らば公家の人々が奉じて出す奉書に於いては如何であったかと云うに、右に記した如き武家に於けるような現象は決して無かったのである。蔵人職事が奉じて出した綸旨は、その人々が執筆し、又中納言大納言の如き地位にある人々が院宣を書いても、それは悉く…

武家の奉書は、自筆を執るべきものであっても執らなかった

降って室町幕府に於ける執事管領の奉書も同様であり、諸国の守護大名の老中奉行の奉書も又同様のものがあった。室町幕府に於ける奉行の奉書は、奉行の執筆するものであり、合奉行があって、二人若しくはそれ以上の奉行が連署する場合にも、一人の奉行が必ず…

六波羅鎮西両探題も右筆が書いたもの多い

この場合右両人の中、何れかが執筆すべきであるのに、反って両人以外の右筆が書いている。執権、連署は単に差出所の一部として、自筆にて花押を加えるに過ぎない。之が時に執権、連署の中一人が差出所に現れている場合も同様であった。この現象は、関東の幕…

奉書御教書についても位署を加えるものが筆を執ってないものがある

尚武家の文書に於いては、書札様の書式をとった奉書御教書類に於いても、それを奉じて位署を加える人が、全く筆を執っていないものがある。鎌倉幕府から出る奉書は、既に述べた如く之を御教書と云い、執権、連署の両人が仰を奉じて出すものであった。とのこ…

花押さえも右筆に書かせた書状

更に武家の人々の書状には、全文を右筆に書かしめて、右に述べた自筆を染むべきものとして自書した花押をさえ加えていないものがある。これは既に鎌倉時代中期以後に於いて、北条時宗の書状、或いは金沢貞顕の書状等に現れている。これこそ一層よく注意して…

花押のみを自筆にした武家の書礼により名字と花押の書礼生じた

先に挙げた源頼朝の請文の如きは、その早い一例である。かように武家の人々の書状には、自筆で書くべきものでありながら、その実自筆を染めないので、名字迄右筆に書かしめて、花押のみを自筆にて書いて、そこに文書としての証拠力を付けたと考えられるもの…

自筆でない武家の書札様文書は鎌倉時代から始まっている

ここに公家と武家との人々の間に書札様文書の形式に著しい相違が現れている。かかる根本的の相違のあることを考慮に置かないと、武家の人々の書状にして自筆でないものを、時に自筆と誤認する恐れがある。武家に於いてこの自筆にあらざる書札様の文書は既に…

消息書状、公家は自筆、武家は自筆でないものもある

然らばこの現象は如何なるところから生じたものであろうか。之を考えるに当たって、更に注意しておかなければならないことがある。武家の人々の消息書状に就いて見るに、その文書の書式から当然自筆を以て記すべきを、自筆にて書いていないものがある。かか…

日付に年号、名字に花押は武家以外では少ない

証文即ち譲状証文の如き、日附に年号も付け、後日の証文として長く伝うべき本質を具えた文書には名字を書いた上にも花押を加えるのが通例である。ここでは一般通例の消息書状に就いて云うのであるが、それに就いて見ると、武家以外の人々には、大体かかる書…

名字と花押は武家に多く公家に少ない

三 武家書札様文書の特質 前掲第一〇項以下の書式、即ち名字を書きその上花押を据える書式は武家の書札に多く見え、公家の人には少なく、まま僧侶の書札に見えている。武家以外の人々の書札に之が見えるのは、それは書式は書札様であっても、その内容が証文…

九州地方の武人の文書に現れる追而書の小切の料紙

更に追而書には、その部分を本文の料紙よりも小さいものに書いていることがある。之は地方的の特色では無く、京都の公家の人々から、地方の武人に向かって送った書礼に用いている。然し東国地方の武人の文書には殆どなく、九州地方の武人の文書には屡現れて…

礼紙ではなく別紙にかく本当の追而書

追而書に本紙以外礼紙を専らそれに用いる場合のあることは既に記したが、礼紙では無く別紙に更めて「追而申候」と書き始めて、本書と同日附で、一通の書状を形造っているものもある。之は鄭重な書礼とも考えられるが、これこそ本当の追而書で、本書を一通の…

東国地方に特徴的な横ノ内折式

その時の料紙は後に説く横ノ内折式となているものに多い。大抵この式の料紙に限ると見てもよいようんである。横ノ内折とは、料紙に文字を書き終わって、之を折るに当たり、先づ中間一筋或いは二筋に内側に折る。そして横に細長くなったものを竪に細かく折っ…

追而書を左の余白に書くものも東国地方に限られている

尚追而書は、右端の余白に書くとは限らず、左の余白すなわち差出所の上部日附の上部その前後から充所の上部にかけて記すものもある。この書式は室町時代の末期永正頃から現れている。而して之がまた地方的特色を持った書式で、東国地方のものに限られている…

「端書無之候」は東国地方の武人の書状に多く見られる

追而書の「端書無之候」は、「端書無之」と書くこともある。かかる文言が何時頃から現れるかと云うに、室町時代の末期からで、概して東国地方の武人の書状等に多く見えている。地方的特色を持った書礼のように思われる。とのことです。

端書無之候と態々書く儀礼

以上では右の如く一通り考えさせられrが、ときには「端書無之候」と、右の余白に態々書いてあるものがある。鄭寧の至りで、事実書いて無ければ無いのであるから、右の如き文言を記入する必要は無いわけである。必要のないところに態々書くところは、既にこ…

今日の考えからすると不可思議千万に思える右端に「以上」と書くわけ

然るに追而書の文が何もなくて、端の余白、即ち紙面の順序から申すと最初のところ、例えば前掲諸例の中、第一七項〔三〕の如き、本文の書いてある先きに「以上」とある。今日の考えから云うと実に不可思議千万である。然し追而書は料紙の右端に書く習慣であ…

追而書あって以上とあれば愈々文面も終わり

室町時代以後になると、かしく、或いは以上と書くことが現れている。かしくは本文の書止めの例文の一種である。以上は已上とも書くが、追而書特有の書止めと見るべきものである。追而書があって、その書止めに以上とあれば、愈々書札の文面も終わりと云うこ…