2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧
第八類 問注勘状 訴訟に於いて訴人(原告)、論人(被告)両者に問を発し、この返答を注記するを問注と云う。判官がこの問注を調えて上司の裁許を仰ぐために出す文書を問注の勘状と称している。 〔六一八〕に挙げたのは、豊前宇佐八幡宮の公文所が、同宮の御…
次に先に図版に示した文殿の評定文の例を更に挙げると、〔六一七〕は、暦応四(興国二)年十二月四日、文殿の官人が、前記田中陶清と幸賢との楠葉弥勒寺に関する訴訟を審理せる結果を上申せる注進状、時に文殿の注進状に、院の別当が裏判を加えることもある…
次に〔六一六〕に挙げたのは、建武二年九月十二日、雑訴決断所の寄人が、石清水八幡宮別当田中陶清と全成との、河内楠葉弥勒寺に関する訴訟を審理した評定文、この評定文に基づいて雑訴決断所の牒が裁許の旨を伝えるために下されるが、その際前記検非違使庁…
次に〔六一五〕に挙げたものは、後村上天皇の御代、正平十二年九月十七日、左大臣以下の公卿が、和泉久米多寺と正尹と申す者との、同国山直郷内包近名の地頭職に関する相論審議の結果を上申せる文書、差出者は右の勘奏と同列のものではないが、文書の形式に…
次いで院政が行われると、この機関が文殿と呼ばれ、御親政の折には記録所と呼ばれるに至ったのである。 〔六一三〕に挙げたのは、後醍醐天皇の御代、嘉暦元年八月九日、記録所の諸官が、左大史小槻匡遠と侍従信親との備中国新見庄に関する訴訟を注進せるもの…
かかる券契証文の審理を司る機関の始めは、かの後三条天皇御代に創置した記録庄園券契所にある。券契所は庄園の文書の正否を審査するをその主なる任務としていたが、審理の結果を注進した文書は、奏聞を経べきものであったから、之を勘奏と称した。当時の勘…
相論の対象が京都以外の土地に関する時は、この評定文に基づいて裁許の院宣が下された。右の相論は、京都の屋地に関するものであったから、〔図版第八一〕に挙げた検非違使庁の別当宣に依って、裁決の趣が伝えられたのである。この別当宣を更に施行するため…
第七類 勘奏 評定文 官庁に於いて官人寄人が、諸事を議し、その結果を注記して上申する文書を勘奏、評定文、若しくは注進とも云う。 (略) 院政が行われていた時、院中に於いて訴訟に関し券契即ち証文の審理を致し、之を如何に裁定すべきかを議する機関を文…
第七類 勘奏 評定文 官庁に於いて官人寄人が、諸事を議し、その結果を注記して上申する文書を勘奏、評定文、若しくは注進とも云う。 (略) 院政が行われていた時、院中に於いて訴訟に関し券契即ち証文の審理を致し、之を如何に裁定すべきかを議する機関を文…
〔六一〇〕は、文永六年七月二日、大外記清原良季が、先に占文の項に記した鴨御祖社西寶殿の怪異に就いて、その先例と、吉凶を卜した占文の内容を注申したもの、勘文と呼ぶべき文書である。 〔六一一〕は、承久三年十月廿八日、陰陽頭賀茂在親が、先に表の項…
第六類 勘文 諸事に関する先例典故等を調査すること、或いは事を行わんとする日時を予め占って定めることを勘申と申し、其の結果を書き表して差し出す文書を勘文と云う。太政官の外記、史が専ら之に当たり、日時の予調に関しては、陰陽道の諸家が当たった。…
〔六〇七〕に挙げたのは、永久元年十二月十八日、神祇官の占文、吉田社第三神殿の変異に関して吉凶を占った時のもの、〔六〇八〕は文永六年七月十九日、陰陽寮の占文、鴨御祖社西寶殿の高欄に金花開きたる怪異に関して吉凶を占った時のものである。右は別個…
第五類 占文 自然并に人事の現象に関して、異変の起こった時、朝廷に於いては神祇官并に陰陽寮をして、之が吉凶を占わしめるを常としていた。この占卜の結果を注記して差し出す文書を占文と称した。時に注進と称することもあった。 (略) この文書は東大寺大…
蔵人、伝奏はこの執進せる文書に依り、その申請の奏下の手続をとる。それが消息宣下である。奏事目録は年頭の吉例として奉行の蔵人が伝奏の手を経て執奏を乞わんがために作る文書、之を披露状に巻込める。この披露状が時代は下るが、〔附録四〕に示したもの…
第四類 奏事目録 〔六〇六〕に挙げたのは奏事目録と申す神宮の奏事始の吉書である。平素は〔附録一〕の如く款上を上る。これは内宮権禰宜荒木田盛員の款状であるから、神祇権副が、之を官務即ち史に執進する。この挙状が〔附録二〕である。更に之を受けた官…
又申文の一種に請假のために出す假文と云うものがある。奈良時代には請假解と云い解式の文書で出したものが正倉院文書の中に多数見えている。〔六〇五〕は、久安三年十月十八日、内大臣藤原頼長が関白藤原忠通に出した姑の喪に依る假文である。同日附で、太…
なお叙位に当たり、叙位を望む者から、その由を簡単に記して、上卿の許に出す文書がある。〔六〇四〕に挙げたのはその一例である。従三位庭田季通が正三位に叙せられんことを申し出でた時のものである。極めて簡明な文面となっている。右に勅許とその年月日…
〔六〇二〕は、康和三年正月六日、正六位上藤原守信が、叙爵即ち五位に叙せられんことを請うために出した申文である。本文の書出し書止め共に書札様の書式をとり、いと鄭重な書礼を表している。かように叙位任官を欲するために出す申文を款状と云う。〔六〇…
更に任官以外の事に関するものとして〔六〇一〕の如き奏がある。これは正暦五年二月▢七日、関白内大臣藤原道隆が、積善寺と云う寺院を建立し、之を朝廷の御願寺と為されんことを請う為に出したもので、この奏を奏状とも呼んでいる。とのことです。
次に〔五九七〕に挙げたものは仁安二年五月、皇嘉門院庁から封戸并に諸司例給を辞退せんことを請うために出した申文である。〔五九八〕は、康和二年正月廿六日、皇太后宮職から任官推薦の申文、〔五九九〕も嘉承二年正月廿四日一品聡子内親王家からの同様の…
第三類 請奏 申文 奏と云う文書は、公式令にその書式が挙げてあり、その三種に就いては第一部に於いて記述したところである。之が諸司を始め諸人からも奉って執申を請うものがあり、之を請奏、若しくは申文と云う。 〔五九六〕に挙げたのは治暦四年十二月十…
次に表の料紙には高檀紙、即ち最も上品の紙を用いるのが通例である。二枚に表状を記し、之に裏紙を加え、更に二枚を懸紙として包み懸け、その上に又一枚を巻くのである。之を五紙の礼と申して、文書料紙の儀礼としては最も鄭重なものであった。なおこの表状…
次に日附を書き、辞表なればその下に位署を加え、賀表なれば次行から群臣が位署を連ねるのである。而して賀表辞表何れも能書の者が筆を執り、予め草案を作って清書する。差し上ぐる者としては、某とある名のみを自筆にて書く、即ち自署を加えるのである。故…
表の書式は、臣某若しくは臣某等言(まうす)と書き始める。次に中間にて、賀表のときは、「臣等誠歓誠喜頓首頓首、死罪、死罪」と記し、辞表のときは、「臣等誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪」と記す。この中間に表す詞を、先のものは中賀、後のものは中謝と云う…
先に挙げた朔旦冬至の賀表は、本朝文粋から取ったものである。同書は既説の如く、多く文書の全体を収めていないが、この賀表も同様であって、之に依ってこの種表の書式を窺うことはできぬ。近衞家文書の中にある弘安五年朔旦冬至賀表の案文の写に依ると、日…
次に〔五九三〕は後堀河天皇の御代、摂政近衛家実が摂政を拝辞するために奉った初度の表である。〔五九四・五九五〕は再度三度の辞表である。平安時代の中期以後、摂政、関白、大臣に任ぜられると謙譲の意を表して、之が拝辞の意を申し上ぐる慣例となった。…
第二類 表 臣下から至尊に、祥瑞慶事を祝賀し、若しくは官職等を拝辞するために奉る文書を表と申す。 〔五九二〕は清和天皇の御代、元慶三年十一月一日、朔旦冬至に群臣祝意を表すために上った表である。之が朔旦冬至の表と申すものである。朔旦冬至とは、十…
第一類 御辞書 天皇が御譲位遊ばされると、新帝から先帝に対し太上天皇の尊号を奉る御礼儀であったが、この時先帝から御辞退の思召を申し上ぐるために奉る御書を御辞書、或いは御報書と申している。〔五九一〕は、仁安三年二月十九日、六条天皇が御譲位の後…
第五部 上申文書 この部に於いては、上位の方に向かって事を申し上ぐる文書を説くこととする。この目的のために、既に述べた書札様の文書を用いていることもある。ここに於いてはかかる目的のために作った文書にして、書状と云うが如き一般的名称で呼ばれて…
而してこの特色は印影に種々の形像を交えて之を複雑化した、例えば虎ノ印判の如き印であって、これ等の印は、単なる個人の印で無く、その家に具わるもの家督の権威の表徴とも考えられていた。やがてこの最盛期を過ぎると、即ち天正の末年以後に至ると、印が…