2025-02-01から1ヶ月間の記事一覧

大和一国は往昔より国司守護執務を止めらる

なお申詞と称している文書がある。申文に類したものである。〔六三五〕はその一例、正安二年十二月廿六日、興福寺下所司が、東寺領大和国平野庄が興福寺からの使、即ち郡使の入部を拒むことの謂なき非法である由を陳述した文書である。とのことです。

延元二年国主北畠親房安堵の外題を裏面に加えた志摩国木本御厨下司盛房の申状

次に〔六三四〕は、延元二年十月志摩国木本御厨下司盛房が、下司職の安堵を国司に申請うために上った申状である。この申請を受けた国主北畠親房が、その侍臣をしてこの申状の紙背に、知行相違ある可からざる由と書かしめその袖に署判を加えて、本人に下した…

文永十一年蒙古襲来の際に対馬島佐須浦で名誉の討死を遂げた久禰資定

次に〔六三三〕は延慶四年六月、対馬島久禰定能と申す人が、同島守護代に所領久禰在家等に関する従来の下文が焼失したので、更に安堵の下文を申請うために上った申状、即ちこれも又安堵の申状である。之に対して、守護代が外題に安堵すべき旨を記して、本人…

申請の証拠文書として提出する具書

申請の証拠文書として提出する具書の目録が挙げてある。この申状は目録に挙げてあるのみで、その具書案を欠いているが、第三部の中で、既に守護問状のところ(※)に参考資料として挙げた、肥後人吉庄地頭相良蓮佛(長頼)の女子尼妙阿代官道観の安堵申状は具…

所領を譲与したあと確認を請うために出す安堵の申状

次に内容并に形式に於いて注意すべき申状の二三を示す。安堵の申状と云い、所領を譲与せる後之が確認を請うために出すものがある。〔六三二〕に挙げたのは、石見国永安兼祐(兼海)の後家尼良圓がその孫々夜叉女に譲与した永安別符益田庄内小彌富以下の地頭…

差出所が名田の注記として中間に記してある珍しい書式

端裏書には申状と云っているが、本文の終りには上状と書いてある。なおこの申状に就いて注意すべきは、何々名と名田の名が書いてある下に、花押や略押を書いていることであり、之は名主の作っている名田を重く考えていた結果に依るのであろう。なお差出所が…

損亡即ち風水害のために米が実らなかった時領家から使者を下して検査することを検見という

かくの如く庄園の住人から上った申状は、寺院の文書の中に多くあり、庄園に関する事実を、これに依って多く知ることができる。庄園が損亡即ち風水害のために、米が実らなかった時には、領家から使者を下して之を検査した。之を検見と云う。この検見の結果に…

「ミミヲキリ、ハナヲソギ」高野山領紀伊阿弖河庄百姓の片仮名書の申状

なお庄園の百姓等の愁状には、〔六二九〕の如き仮名交じりの文章で書いたものもある。高野山領紀伊阿弖河庄の申状である。又上にに示す如く、全文殆んど片仮名で書いたものもある。 図版は前後の一部を示したに過ぎない。之も同じく阿弖河庄の百姓が、地頭の…

近世に印が普及したが、印を備え得ない者は中世同様略押を書いた

この文書に就いて見るに、日附の後に差出者たる多数の百姓が署判を加えているのは注意すべき点である。この署判が古文書上特に略押と称しているものである。この早いものは平安時代中期の末頃から、かかる申状とか、売券等に見えている。文筆に縁の遠い下々…

東寺領伊予弓削島領家方の百姓等が領家たる東寺に上った申状

次に解の書式をとらない申状の一例を示すと図版〔上掲第一八七〕の如きものがある。 (略) この文書は、東寺領伊予弓削島領家方の百姓等が、預所の非法を訴え之が改補を領家たる東寺に請うために上った申状である。之より先に同事に就いて訴えるところがあ…

庄園の住民等が困難し迷惑を蒙れることを上に愁訴するために奉った申状を愁状という

以上挙げた申状は、大体解の書式をとっている。中には日附の次に差出所を表さぬものもあるが、之が後の申状の書式には著しくなってくるのである。なお庄園の住民等が困難し迷惑を蒙れることを上に愁訴するために奉った申状は愁状とも称している。上に挙げた…

神官の申状には比較的後の時代まで印を捺していた

書出しとこれに続く六行の字面に、「八幡宮印」の四字を印文とした朱印が五顆、紙継目表に一顆捺してある。而して差出者の位署は、各自署を加えているが、その字面に右の朱印が六顆捺してある。かように神官の申状には、比較的後の時代まで印を捺している。…

大隅正八幡宮神官等が本家石清水八幡宮別当家に鎌倉の源頼朝への上申を願う申状

社寺政所に上りし申状 〔六二七〕は、天喜四年三月十日、東大寺領伊賀玉瀧杣湯船鞆田等四村の杣工等が、本寺東大寺政所に、国司の押妨を止め、杣工等をして村内に安堵せしめるよう公家に奏聞せられんことを請う為ために上ったものである。〔六二八〕は、文治…

大隅正八幡宮神官等が本家石清水八幡宮別当家に鎌倉の源頼朝への上申を願う申状

社寺政所に上りし申状 〔六二七〕は、天喜四年三月十日、東大寺領伊賀玉瀧杣湯船鞆田等四村の杣工等が、本寺東大寺政所に、国司の押妨を止め、杣工等をして村内に安堵せしめるよう公家に奏聞せられんことを請う為ために上ったものである。〔六二八〕は、文治…

元暦元年春日若宮神主中臣祐重が藤氏長者基通の政所に上った申状

〔六二六〕は、元暦元年八月、春日若宮神主中臣祐重が、藤氏長者基通の政所に、同社領大和伴田庄の所當米に関して裁定を請うために上った申状である。この申状は個人で上った形式をとっている。右両通共に家司別当が殿下の仰せを奉って、外題を加えて、之に…

康和三年法隆寺末寺の所司が本家右大臣藤原忠實の政所に上った申状

諸家政所に上りし申状 〔六二五〕は、康和三年十一月二日、法隆寺末寺近江国定林妙安両寺の所司が、その本家右大臣藤原忠實の政所に上った申状である。右両寺のある平田庄の庄司が、国例の率法に反して、両寺領の官省符田の進納物の割合を減少する非理を止め…

元応二年当時の守護不入の地尾道湊の景況を見るべき資料

〔六二四〕は、元応二年八月日、高野山金剛峰寺衆徒が、同寺大塔領所の備後太田庄倉敷尾道浦に於ける守護人の狼藉を止めんがために、院宣を下されんことを請うた申状である。当国守護が不入の地尾道に入部し、種々押妨を加えた事実が列挙してあるが、その記…

外題に検非違使庁の任に当たっていた源義経の花押がある貴重な古文書

検非違使庁に上りし申状 ここに前半を図版に示し、全文を〔六二三〕に挙げた文書は、寿永三年三月、金剛峯寺衆徒が、検非違使庁に上った申状である。寂楽寺の所司が金剛峯寺領紀伊阿弖河庄に押妨を加えたので、之を止められん事を請うために出した文書である…

永万二(仁安元)年東寺領伊予弓削島庄住人等が国衙に公事免除を請うために出した申状

なお右の太田庄の沙汰人と同じ形式の申状を示すと、〔六二二〕の如きがある。永万二(仁安元)年七月、東寺領伊予弓削島庄住人等が、国衙に公事免除を請うために出した申状である。大介が認可の外題を加えている。とのことです。

単一文書に対し複合文書と称すべき外題と複合している文書

この申請を受けた備後の国司は、之を認可した旨を、この申状の右端の余白に記載して、沙汰人等の許に返したのである。之を国司の免判とも又外題とも云う。この国司の外題は、下文の様式をとっている。かように申状と外題と複合して一つの文書を形成すること…

仁安三年太田庄沙汰人が国司に申請するために出した申状

次に庄園の住人が、国司に上った申状の例を示すと、上の図版の如きものがある。 (略) この文書は太田庄沙汰人が、同庄内戸張保内の現在耕作し得る田九町三段の年貢米は、元来圓宗寺に納むる御封米に充てていたが、今検地の結果十五町餘であるから、それは…

伊賀国在庁官人が悉く位署を連ねた鄭重な書礼の申状

国司国衙に上りし申状 〔六二一〕に挙げたのは、保安三年二月、伊賀国在庁官人等の申状である。東大寺領伊賀黒田鞆田玉瀧三箇所の住人は、国衙の領地に進出して公田を耕作していた。之を公田を出作すると云う。而してその年貢は、率法段別三斗と定むべきであ…

解の式は鎌倉時代以後「何々解」から「何々申」に変わり申状と呼ぶようになった

鎌倉時代以後になると、次第に解の式が少なくなって、単に「何々解」と書くのが「何々申」と変わり、終りも以解で結ばず、「言上如件」等と書くようになった。この頃に至っては申状というのが通例の称呼となった。而して本来の解式のものと云い、又この申状…

役所に限らず各方面で用いられた解の書式をとった文書を当時解状、解文、申状、申文と称した

第一〇類 申状 申文 解文 解と云う文書は、公式令の定むる如く、直属関係にある下位の役所から上位の役所に奉る文書のとるべき書式であり、且つ之が文書の名称でもあった。この解に就いては、既に其項に於いて記述した。この解の書式をとった文書が役所に関…

延文元(正平十一)年東寺領若狭太良庄公文職の相論に関する意見状

次に寺院に於いても相論に関する意見状を作っている。〔六二〇〕に挙げたのはその一例、延文元(正平十一)年四月廿一日、東寺領若狭太良庄公文職の相論に関して立てたもの、その形式は、前記幕府奉行衆のものと大いに相違している。先づ訴訟当事者両方の申…

花押を裏に加えた裏花押は鄭重な意味を表している

〔六一九〕に挙げたのはこの意見状の一例、実相院門跡并に武田下條常歓と南禅寺正法庵末寺福田庵との山城北岩蔵郷内の田畠山林屋敷に関する訴訟の意見状である。今之が実相院文書の中にあるところから見ると、実相院側が訴訟に勝って、この意見状の下附を受…

意見状も評定文と同様訴論人のうち勝訴となった者に下されたものと思われる

第九類 意見状 室町幕府の奉行衆が、訴訟に関する事項を評議し、之を如何に裁決すべきか其意見を将軍に具申する時に作る文書を意見、若しくは意見状と云う。この文書は書止めに必ず「宜為上位矣」と結び、裁決を仰ぐ形式となっているが、前項に述べた諸官評…

裁許状の内容を具えていた、当時の口言葉が伝わる問注勘状

この裁決の裏書を加えた後、この文書を訴論人に下して裁許がなされたのである。即ちこの問注勘状が、上申の形式をとった文書であるが、実は裁許状の内容を具えているものであった。既に述べた下文、下知状等は、この問注勘状を、その本文の中に織込んで勘状…

訴論人の申す言葉である申詞を注記するのが問注

始め論人友成に問うに云うと記して、論人に尋ねしことを記し、之に次いで友成申して云と記して、論人の返答を記し、次に訴人末貞に問うと記して、右の論人の陳述に就いて訴人に尋ねしことを記し、次に訴人論人の主張するところを交互に記している。この訴論…