典籍の料紙
(表)平安時代末期の延喜式 (裏)寛弘年間の讃岐国の戸籍など
(表)公任自筆の北山抄草稿 (裏)公任宛の文書など
日記の料紙
(表)勘解由小路兼仲の勘仲記(裏)蒙古襲来・異国征伐の文書など
(表)室町時代 三條西実隆の日記・山科言継の日記
文書の料紙
戸籍は6年に一度作り、5回分は保存するそうです。6×5=30年たったら除くということで、大宝2年から30年経過すると天平4年となっています。
次に挙げられているのが、石清水八幡宮に伝わる八幡筥崎宮御神宝記です。蒙古襲来で焼失した神宝を新調した時の文書です。記載したのは鎮西奉行のひとり豊後守護大友頼泰です。最初から白紙をもちいず悉く古文書の反故を裏返して利用しているそうです。裏は異国征伐に関する文書が主だそうです。
作成当時は冊子であったが、寛永10年に巻子として裏打ちされ、明治36年に東京帝国大学の三上博士(三上参次1865-1939)が紹介されたとのことです。
ちなみに…
文書の裏にあるもとの文書を、紙背文書・裏文書と呼んでいますが、これは故実によるものではなく、「近頃便宜用い始めたもの」だそうです。