源義朝が登場する天養記

第三項 社寺伝来の古文書 です。

まず大神宮すなわち伊勢神宮に伝わる文書が挙げられています。神宮文庫に保管されているものです。特に天養記という相模大庭御厨に関する古文書には、源義朝の館が鎌倉にあったことなどが見えて重要なものです。大宮司家并に御鹽殿神庫文書(みしおでんしんこもんじょ)として伝わるものもあり、櫟木(いちき)文書として伝わるものは、下総相馬御厨に関する古文書が多いが、いまその原本は亡失しているとのことです。御師の諸家にも、松葉・佐介・龍大夫・幸福氏などに伝わっているとのことです。

ここからは、地方別の記載になってきます。まずは、五畿内地方について。

二十二社に列せられたもののなかで、石清水が最も多く、次いで祇園、春日、松尾、賀茂別雷社のものが多い。稲荷、大原野社などにも、元弘三年以後の古文書があり、梅宮社には、鎌倉時代の古文書があるが、数は少ない。

摂津水無瀬神宮には、後鳥羽天皇の宸翰など鎌倉時代以来の古文書を多数伝えている。

二十二社以外の神社では、京都の若王子神社、山城山崎の離宮八幡宮、大和の談山神社、吉野の金峰神社、吉水神社、河内の玉祖神社、和泉堺の開口神社、摂津の多田神社などは、鎌倉時代以来の古文書を伝えているとのことです。