南海道地方です。
紀伊。海草郡の日前國懸両神宮(鎌倉時代から)、伊都郡の隅田八幡神社、同郡天野の丹生都比賣神社に後村上天皇御奉納の法華経と宸翰の御寄進状あり、旧社家丹生氏にも伝わる。那賀郡の若一王子神社には宮座に関する黒箱古文書というものが伝わる。熊野山には那智に多い。那智夫須美神社(平安時代から)、新宮の熊野早(速?)玉神社(鎌倉時代から)、本宮にはすでに江戸時代からほとんど伝わっていなかった。各王子の社にもこれといった古文書はない。
寺院においては、高野山金剛峯寺に極めて多数伝わっている。寶簡集54巻、續寶簡集75巻、又續寶簡集143巻に総通数3,501通が収められている。平安時代末期以来の古文書で、東寺・東大寺とならぶものといえる。金剛三昧院をはじめ、山内各子院寶壽院、正智院、五坊寂静院、高室院、持明院、寶城院、清浄心院、西南院、安養院、蓮華定院、西門院、櫻池院、成慶院などに多数の古文書が伝わっている。諸国豪族の宿坊證文などが多く地方史を研究する上で重要。粉河寺、大塔宮護良親王の令旨あり、寺中小池坊に多くある。根来寺には少ない。海草郡歓喜寺には鎌倉時代以来の接待所に関する古文書を多数伝えている。海草郡の禅林寺、有田郡の施無畏寺に開山明恵上人に関するもの、日高郡由良の興国寺に開祖心地覚心に関するもの、同郡矢田村の道成寺には多く伝わっていない。
阿波。那珂郡の八鋒神社(平安時代末期のもの)、寺院は聞こえるものがない。
伊予。大三島神社には武具が伝わるが、古文書は伝わらなかった。越智郡の国分寺、周桑郡の観念寺、温泉郡河野村の善應寺、同郡長隆寺。