二十年に一度、十一月朔日が冬至となる

記念すべき第一号の文書です。

〔一〕文武天皇元年八月十七日御即位の詔

文書の始めと終わりに、主格・対格を表す書式は、日本固有のものだそうです。

〔二〕醍醐天皇朔旦冬至

十一月朔日が冬至にあたるのが、二十年に一度あり、これを祥瑞として出した詔。純然たる漢文体。日附の次からは作成公布の手続きを示している。中務少輔が一人で、「宣、奉、行」をいたし、ここまでが中務省で書いて太政官に送った文、次に大納言以下が太政官の覆奏の文、終わりの「可」は宸書である。ただしこの文書は写として伝わったものである。

御画日のところは、中務省から写して太政官に送ったものであるから、この文書の正文にも宸書の文字はなかったはずである。宸書のものは中務省に留まって覆奏のものには用いなかったわけである。

覆奏の文は、「詔書右の如し、請ふ、勅を奉(うけたまは)り外に付して施行せん、謹(かしこ)みて言(まう)す」と読む。

ふー。ややこしくなってきました。一歩一歩すすんでまいりましょう。