全文宸筆の諡号勅書

〔八〕後花園天皇宸筆諡號勅書

御画日(ぎょかくにち)だけでなく、全文宸筆のもの。

夢窓疎石は、後醍醐天皇以下から五つの徽号を賜っていたが、後花園天皇が更に佛統国師の徽号を加諡したときのもの。中原康富の日記にも全文宸翰であったことが記してあるとのこと。その後、後土御門天皇の代に諡号を賜ったので、七朝から徽号、諡号を賜ったので、「七朝の国師」という。

このころから、国師号を賜るとき、全文宸翰とする勅書がはじまったようである。室町時代の末期から一山の開祖の遠忌の仏事ごとに諡号を賜る慣例となっている。