超長文の文書、後三条天皇の荘園整理

〔三十〕うーん。きました。下巻で15ページにわたっています。「古文書には一通にしてかゝる長文のものもある一例として、部類篇に全文が収めてある」と、相田先生も楽しんじゃってますね。

まずは大観しましょう。太政官石清水八幡宮護国寺にあてた牒です。

荘園34か所(38か所とあるのは間違いでしょうか)のうち、21か所は元の如く領掌し、13か所は停止という後三条天皇による荘園整理の文書です。

前に挙げた官牒にはみな自署名であったが、ここでは右小辨であった大江匡房が上判に朝臣、日附の下に位署を加えたものは花押を書いている。

この朝臣は名を書くを略して姓を書いたので、移のところででてきた略名式である。太政官の牒は、平安時代の初期までは辨官も史も自署名であったが、中期以後から辨官は必ず略名式を用いることになった。前項の移のところで述べた、長官次官の位署における略名式とならべて注意しておく必要がある。とのことです。

文書が長い割に、解説はあっさりしていました。いまから、文書に取り組んでいきます。