太神宮司の牒

牒は社寺からも出している。

第一三図、太神宮司庁→斎宮寮、「大神宮印」が二十二顆捺してある。

斎宮寮は、宇多院から伊勢国飯野郡にある東大寺の寺田を検査すべきについて、これを神宮司に伝えるようにとの命を受けたので伝えた。神宮司においては、官符による命令ではないが、宇多院院宣を畏んで、飯野郡司に符を下して検査させた。郡司の注進によると、郡内には東大寺の寺田はなく、布施内親王が施入した京都の東寺の墾田はあるとのことだった。宮司は郡司の検査に基づいて、寺田、神民の口分田とを両巻に分けて書き上げて、先の使者に示したところ、使者は一巻にまとめよと申し出た。その間に夕方になったので、宮司の庁務を止めたところ、先の使者が司館に来て、悪言を放って、かの勘文を受け取らず還却したので、この由を斎宮寮に進達するというのが、この文書の大意である。

ふー。たいへんですね。神民の口分田とは、伊勢の神戸の民が受けていた口分田であるとのこと。院宣というのも早い時のものであろう。院宣を伝えた文書を宣旨と称しているのも注意を惹く。とのことです。