珍しい少弐氏の守護所の牒

下文と牒との相違を示す例として、少弐氏の守護所の文書を挙げることができる。少弐氏は九州の三前二島、筑前豊前肥前・壹岐・対馬守護職を持っていたが、守護所から地頭御家人には下文を、社寺に対しては牒を出した。

〔四九〕肥前国守護所→武雄社 これと〔一一八〕の下文とを対比するに、袖判に時の守護人が花押を署し、牒も下文もその書式は全く同一であった。

守護といえば武家に属したものであって、武家文書に公式令に挙げる文書の名称が入ってくるのは、この少弐氏の守護所の牒のみである。少弐氏が平安時代以来大宰府の少弐の職に就いていた特殊な関係から起こった事実とみるべきだろう。

とのことですが、〔一一八〕は桃井義盛下文でした。うーん。どこにあるのでしょう。下巻をパラパラめくっていると巻末に編年文書目録がありました!嘉禎四年と書いてあるので、そこを見ますと嘉禎四年十月卅日少弐氏分国守護所下文 下一〇四とありました。104ページを開くと、〔一二八〕少弐氏分国守護所下文がありました!〔一一八〕は〔一二八〕の誤記でした。すっきりしました。