消息書状と体裁を同じくする牒

〔五三〕安都雄足→東大寺写経所の案主等、写経の事務に関して出した牒、端裏に差出書を記して封を加えている。のちに現れてくる私信たる消息書状とその体裁をおなじくするものである。

〔五四〕池原禾守の牒のごとく宛所を欠き、単に書き出しに牒と記したものもある。

〔五五〕安都雄足→道守、宛所が道守という個人で、日附も月日のみのものもある。差出書も名のみを表している。

以上三通は、いずれも消息書状に類似している。この当時において消息書状に当たるものは、啓もしくは状と称する文書である。この種の牒は啓状と類しているのである。元は公式令に示す牒式から起こったものであろうが、この系統の牒は私状の形式を具えた啓状に接近し、ついにはこれに吸収されて、独立した牒としての意味を失うに至ったのだろう。この時期如何は、誠に解決に困難な問題であるが、平安時代の初期ごろまでは、この種の牒式が行われていた形跡を推測できるが、的確には断言することはできない。

この種の牒は、私状の形式を具えた啓状と関係があるが、この啓状については、のちに叙述する。とのことです。