数百年にわたる手継の証文

図版に示した左側の文書は、右の売買券に見えている買主たる源理というものが、売買のあった延喜十二年より七年後の延喜十九年に、同じ家地を息男市童とその母橘美子に譲与したときの証文である。このように家地田畠等を譲与するときに作る証文を処分状といった。源理がこの処分状を息男市童等に与えたとき、理の所有権にこの家地が帰した来歴を伝えるために、この売買券を処分状の右側に継いで渡したものと思われる。

図版の右端を見ると、文書を巻き返したようにみえている。これよりも右側のほうに幾枚かの文書が継いである。継ぎ目裏には、花押や印章が加えてある。右端から四通の文書があるが、皆七条令解のごとき売買券である。端にいくほど新しい時代のもので、処分状と売買券たる七条令とを基にして、次々に売買券が作られるにしたがって、右端へ右端へと継いでいったことがわかる。このような証文の一続きとなったものを手継の証文、あるいは手継の券文といった。長いものは数百年にわたるものがある。これらの券文によっていかにして古文書が伝存してきたか、その事情を観察することができる。とのことです。