個人の解、啓上と近似した書式

個人から出した解で注意すべきものは、〔六七〕丸部足人解である。極めて鄭重な文言を用い、且つ充所に尊者御足下と書いている。この充所の書きぶりは、当時の私状たる啓状のものと同じである。前項の個人の牒と同様に、個人の解にも啓状と近似した書式を具えたものが出現したのである。要するに、同一の形式の文書でも公私両様に用いられ、公文と私状とその形式の上から截然と区別しえない状態は、すでに奈良時代にも起こっていたと知るべきである。

解を用いる範囲は、奈良時代においても相当広かったのであるが、これが、平安時代に降り、その中期以降に及ぶと、その範囲は一層広がり、同時代の末期に至ると、官庁、社寺、庄園の住人、公人私人、いずれも下から上に達する文書にして、公の性質を帯びたものは、もっぱらこの解の様式をとり、牒の項において述べたごとき社寺等からだした牒に代えて用いるに至った。すなわち牒は直属関係に無いものの間で、下位の者から上位の者に達する場合に用いたが、それが解に代えらるるようになったのである。かくて解は、その用いる範囲が広くなったばかりでなく、その記事の内容も複雑となり、書式は一様に解の式を取っていても、差出者と受取者との関係、さては記事の内容等によって、解を種々な名称で呼ぶようになってきた。これについては、後段に項を更めて説くこととする。