賀茂社の斎王の宮城内の居場所

次に口宣案の例を示す。

〔七二〕は後醍醐天皇御代、元徳三年四月廿日蔵人頭葉室長光が奉じた口宣案。斎王とは賀茂大神に奉仕する斎王にして、その坐すところは賀茂社の近くにあったが、更に宮城内に便宜な所を点定して、坐ますところと定めた。これを初斎院と称し、古来衛府等をその所に充てたが、この口宣案の当時は、宮城内の諸司が破壊し、其の所と定むべき適当な場所が無かったので、禁中の別殿をそれに当てては如何との思召にして、その可否を官外記ならびに紀傳明経明法の諸博士等をして勘申せしめるために、この口宣案を出したのである。口宣が、任官叙位に限るもので無いことがこれでわかる。とのことです。