在庁官人・留守所充が多い国司庁宣

ろ 国司庁宣

 庁宣

  定久利郷司職事、

     清原頼行

 右為人郷司職執行、補任所定如件、

   康平六年十一月三日

 大介清原真人(花押)

国司の庁宣は、国主もしくは介から、その管下にある者、もしくは管内に下す文書である。単に庁宣と書出してあるが、これは大宰府の庁宣と同様、その管内に関することに限って出したからである。その充所が在庁官人もしくは留守所となっているものが多い。在庁官人は前に述べたごとくであるが、留守所は、在庁官人の国務を執る役所のことである。長官は遙任で不在であるが、下級の官人が庁に留まり守って国務を執ることから起こった名称である。在庁官人もしくは留守所の充所が多いのは、庁宣が遙任の制度が盛んになってから多く出すに至ったことを示しているのである。

前掲の庁宣は、石見国司が、清原頼行という者を久利郷司職に補任するために出した文書である。字面に捺してある四箇の印影は、石見国印の文字である。すなわち石見の国印を捺したのである。日附の次行に位署が加えてある。守とは無く大介と記している。大介とは国主が遙任の場合称するのであるという説があるけれども、必ずしも左様ではない。在庁官人もしくは留守所充の庁宣、すなわち遙任にして京都から国に向けて送った文書に、大介と書かず守と表してあるものがある。とのことです。