親王庁・門院庁の下文

は 親王庁門院庁下文

令制に依れば、親王以下公卿の家には、家令以下の職員を置く定めであった。親王の庁また各女院の庁に奉仕した別當以下が各その庁務を執ったことは、右の令の制規に基づくものと思われる。これらの庁から別當以下の職員が位署を加えて下文を出していた。

部類〔九三〕に挙げたものは、承久四年(貞応元年)正月入道二品親王(道助)庁の下文、〔九四〕は、永暦元年二月廿三日、美福門院(鳥羽天皇皇后)庁の下文である。

親王門院は、院と同様に荘園の本家本所とならせらるる場合が多く、この本家本所として庄園に関して、或いは入道親王庁はその門主であらせられた本寺としてその末寺に関して、それぞれこの下文を出すことが多かった。かかる下文は平安時代末期のものから伝わり、鎌倉時代のものも多い。庄園の本家本所の研究資料としても貴重な文書である。とのことです。