社寺も政所を開設し、下文を出した。

第五種 社寺下文

前述のごとく令制には公卿の家の職員に関する定めがあったが、平安時代の中期以後に至ると、諸家においては政所を開設し、別當以下の家司を任命して、これらの家司をして下文を出さしめているが、これを政所の下文と称した。また社寺の有力なものも政所を開設し、ここから下文を出した。

 正宮政所下   留守神人等所

  可令致早事実者、差遣神人等沙汰禰寝院南俣村事、

 右件村、貫主親助宿禰先祖相伝私領也、而府御領物并旁負物等、親助其辨無為方

 之間、適先祖所領也、非可沽与於他人之由申、伯父御馬所検校頼清所沽渡也、随

 任彼渡文旨、無他妨可領掌頼清之由、府国与判明白也、仍年来令領事之處、親助

 妹夫薩摩国住人平行道、擬成妨之由、有其聞者、事実者、早差遣神人等、可令致

 沙汰之由、所仰如件、故下、

         保安二年六月十一日      祝部漆嶋

 執 印 大 法 師(花押)       權政所検校息長(花押)

                     宮 主 法 師(花押)