平忠盛の奥上署判下文

第三種 庄園預所下文

庄園の預所も、奥上署判の下文を出している。〔一一〇〕に挙げた天承二年四月十六日附文書は、その一例と思われる。日附の次行に位署を加えた備前守平忠盛は、院の御領伊賀国鞆田庄の預所であろう。当時庄内の住民の重なる者を寄人と称したが、これらのものがこの庄内の東大寺領を耕作しながら、年貢を収むることを怠り、課役を勤めなかったので、一切かかることをなからしめ、この命に背くものはこれを誡めんがために、その名を注進し事情を報告することを庄園の政所に命じたのである。

庄園の預所が出したこの式の下文は、非常に多く遺っている。〔一一一〕に挙げたものは、寿永二年八月、東大寺美濃国大井庄預所が、同庄の下司を補任するために出したものである。とのことです。

 

〔一一〇〕に頻出用語、事ヲ左右ニ寄セ(とやかく理由を付けて)がでてきます。