神領宛なので鄭重な奥上署判の下文

更に遥かに降って、〔一一四〕天文十一年八月廿二日、大宰大貳大内義隆が藤原正廉という者に、安芸国抓爪木八幡社(※)神領を与ふるために下したものである。書出しに、補シと一字が加わっているが、形式はこの下文に属している。単に形式を踏襲して、このころに及んでまでこの式の下文を出していたと見るべきであろう。

なお大内氏は、家人に所領を充行うすなわち与えるとき、後項に説く袖署判下文をも用いている。かくここに挙げた奥上署判下文と袖署判下文との両種を用い分けているのは、神領と家人領との相違によるものと思われる。奥上署判のほうが、袖署判のよりも、鄭重な意味を表しているのである。神領であるが故に、書式の上に敬意を示しているのである。下文の形式を踏襲している間にも、かかる区別を付けていることは注意すべき現象である。とのことです。

広島県広島市に狐爪木(くるめぎ)神社がある。文書に佐東郡とでてくるので、間違いないと思われる。