所領充行(あておこない)は尊氏、所領安堵は直義

なお当時所領安堵のためには、尊氏から下文を出さず、直義がこれに代わって出していた。而してその下文の形式は、尊氏の下文と同じものもあった。足利氏が鎌倉の将軍家の下文と同じ形式のものを出していたことは、注意すべき事実である。しかるに尊氏直義の両人が、各下文を出すに至った事実は、鎌倉幕府の制規を踏襲しているのである。すなわち鎌倉時代の末期に於いては、所領充行(※)の場合には将軍家政所の下文を出し、所領安堵の場合には執権連署が将軍の仰せを奉じて、御家人の譲状の袖に下知状を書き加える定めであった。この下知状を当時外題安堵と称していた。右の事実に就いては、すでに鎌倉幕府に関する下文の条で説いたところである。鎌倉幕府に於いては、同じ将軍家から所領充行、所領安堵いずれも文書を出したが、その出す形式が右の如く両様になっていたのである。足利氏は、かく先代に両様になっていた形式をそのまま踏襲して充行の場合は尊氏、安堵の場合は直義と両様の下文を出したものと見るべきである。すなわち形式の上からいえば足利幕府の極めて初期の下文は、先代の形式そのままの延長と見做して差支えないのである。とのことです。

(※)あておこない