第四類 下知状
第一種 武家下知状
下 加賀國井家庄地頭代官所
可早且停止自由狼藉、且致撫民計、従領家御下知事、
右當御庄者、重役異他御庄也、而地頭代官以新儀非法為業之間、土民不安堵、公物
難済之由、有其訴、早停止自由之狼藉、任先例可致沙汰之状、依鎌倉殿仰、下知如
件、
元久二年六月五日
遠江守平(花押)
この文書は、鎌倉幕府から加賀国井家庄代官に対し、その新儀非法を止め、専ら撫民の途を講じ、領家の下知に従うべきことを命令するために出したものである。
文中鎌倉殿というは将軍源実朝、遠江守は執権北条時政のことである。すなわち時政が実朝の仰を承って、この文書を出したのである。従ってこの文書は奉書の意味を持っている。然るに書式は、先に〔一一五〕に挙げた庄園預所の下文の形式と全く同じであって、唯書止めに下知如件とあるを異にするのみである。とのことです。