下云々の一行がなく、事書から始まる下知状

右の文書は、前項に挙げたものにある始めの下云々の一行を欠き、直ちに事書から書いてある。終りの部分の書式は前項に挙げたものと全く同じである。之も旨を奉って出した文書である。即ち執権北条義時が尼将軍政子の仰を奉じて出した形式のものである。

 この書式の文書は、右の図版に示したものに始めて見るのでは無く、〔一四一〕に挙げた、建久六年六月五日、大江広元外二名が、頼朝の仰に依って出したものがある。これは前項に挙げた時政の奉じた文書よりは早い時のものである。然し時政の時代にも〔一四二〕に挙げた如く同じ書式のものを出している。