長文の鎮西下知状

なお鎮西下知状の一例を示すと、〔一四九〕の如きがある。この文書は、元徳元年十月五日、薩摩日置北郷弥勒寺庄下司眞忠と一方地頭島津宗久代官道慶との同郷内吉利名の相論に対して下した下知状である。文中に島津家の初祖忠久が薩摩伊作庄地頭職拝領の事、或は建久図田帳の事等も見え、史料として極めて興味深い文書である。裁許の下知状は、訴人論人の申分を一々引用し、それに対する判決の理由を記す為、中には甚だ長文に亙るものもある。この下知状も管見に於ては、長文の点で一二を争う程のものである。とのことです。

5ページにわたり、註が23もついています。