脇附、吉野時代の中頃から右の下から左の下へ

この脇附は、奈良時代のものに於いては、各敬語の直下に書き下して、各敬語の脇に書かず、所謂脇附の意味に適当しないものもある。而して脇に書く場合は、必ず右の下に書いている。この書礼は中世に入っても同様であって、鎌倉時代末期迄は、例外なしにかような表し方である。それが吉野時代の中頃から以後になると、右の下が左の下と変わって行く。即ち奈良時代からの慣習がここ迄伝わっているのである。とのことです。