花園天皇の帰依篤い道皎

天皇は道皎に御帰依極めて篤く、元亨元年十二月廿五日、これより御法衣を受け、その翌日之に答えさせらるる為めに下された御書が之である。道皎が近日求法の為め入元の途に就き、鎮西に赴くのでその送行の意を述べさせられ、授法に報いさせらるる為めには特に国師の号を賜うべきであるが、当時は御治世でないので思し召しのままにならぬ由を伝えさせられたものである。とのことです。