醍醐寺に伝わる祈雨日記

綸旨の最も古いものは、〔二六六〕に挙げた後一条天皇の(万寿五年)四月十二日附の綸旨である。之は醍醐寺に伝わった祈雨日記と申す雨乞の御祈祷に関する記録の中に写し留めた文書であり、此記録は鎌倉時代の初期に書写した奥書を持っている。小野の仁海をして、弘法大師の先例に任せ京都の神泉苑に於いて祈雨の御祈祷を修するように命じた綸旨である。日附に万寿五年とあるのは、原本にあったのでは無く、文書の授受が済んだ後に追記したと見るべきである。差出所に重尹歟とあるは、転写の際記入したものであろう。尚祈雨日記には之に続く古い時の綸旨が多数収めてある。とのことです。