本願寺門跡顕如の進上物に対する女房奉書

尚〔二七七〕は、同じく正親町天皇の女房奉書、天正八年信長と石山本願寺との和睦が、禁裏の御斡旋に依って成立したが、その御礼として本願寺門跡顕如から、沈香と紬とを進上せるに対して答えさせられた奉書である。とのことです。