御教書が公的性質を帯びるようになってきた

書式がかように私状に基づいた上に、その取り扱う内容も、公に関係したものは少なかったのであろうけれども、平安時代中期以降摂関政治が行われるに至り、之に奉仕する家司の奉じて出す御教書は、次第に公的性質を帯びるようになって来た。この傾向は御教書奉書の性質を持った総べての文書に就いて云い得ることであった。とのことです。