白紙を用いた御教書

次に〔二九八〕は、正和二年九月廿日、前太政大臣入道九条忠家の家から、醍醐寺釈迦院に、勝倶胝院観音堂を、同家の祈願所として相承し、一家の繁栄を祈らしめる為に出した御教書である。この御教書は普通の白紙を用いている。この時忠家は入道で、摂政には関係がなかった。追而書は別紙に書いてある。封紙は捻封か折封か明らかでないが、恐らく捻封であろうと思われる。とのことです。