応仁乱後の管領に侍した重臣が出す奉書

此等の中で特に注意すべきものに、応仁乱後幕府の管領若しくは将軍に侍していた重臣の奉行が、各主人の仰せを承って出す奉書がある。〔三三二〕に挙げた文書はその一例、大永八年六月十八日、細川晴元の侍臣三好元長が、晴元の命を奉じて、加茂別雷社領堺内の内二瀬村を安堵する為に出した奉書である。とのことです。