豊臣秀吉の奉行衆の奉書

 豊臣氏奉行奉書

 以上挙げた例は戦国時代の守護諸大名のものであるが、豊臣秀吉の奉行衆も、右と同じ書式と認むべき文書を出している。〔三四一〕は、慶長二年三月七日、侍下人等をして組を結ばしめて、社会の秩序の安定を図る為にだした掟書であるが、ここに挙ぐべき一例である。とのことです。