国守として出した北畠氏の国宣

国宣は、国守の権威が衰えて、国の領主が勢力を張るようになって起こって来たものである。然し、その領主が地位が高いと、単に奉者の出す奉書に過ぎなかったが、それが比較的地位が低いと、その者が袖判を加えて、文書に證據力を付けたものであろう。陸奥の北畠氏の国宣の如きは、領主国守の区別のない国守として出したものと見るべきである。とのことです。