執権北条時宗の直状

〔三五八〕に挙げたのは弘安三年九月五日、執権北条時宗が、幕府から東福寺の圓爾(聖一国師)に加賀国熊坂庄一方を与えた下文を送り、寺用の欠くるところあるに依りかく取り計らいしことを国師に伝えたものである。仰せに依って云々の文言が無いから、時宗から直に出した即ち直状の形式を具えたもので、当時之を関東御教書と称している。とのことです。