新田義貞が鞍馬寺の衆徒を招くために出した御教書

〔三六九〕は同年六月廿三日、同じく義貞が比叡山にあって京都に進入せる尊氏等の軍勢を追討せんがために、洛北鞍馬寺の衆徒を招くために出した御教書である。当時戦乱の間、官賊何れの武将もかかる文書を多く出し、今に遺るものが少なくない。とのことです。