陸奥上遠野左近将監を招く軍勢催促の御教書

〔三七二〕は、康暦二(天授六)年七月十四日、関東管領足利氏満が、下野の小山義政を撃たんとして、味方の御家人に参陣を促すために出した文書の一例、遠く陸奥上遠野左近将監を招くために出したもので、〔三七三〕は、応永二十三年十二月、持氏が上杉禅秀(氏憲)を撃たんがため下野の長沼淡路入道に参陣を促すためにだしたもので、何れも軍勢催促の御教書と称する。とのことです。