将軍義政の古河公方成氏宛御内書

〔四三五〕に挙げたのは、(文明十四年)十一月廿七日、足利義政が関東の古河公方足利成氏と和睦を結ぶときに送った文書で、この書式のものも御内書と称している。書止め「候也」が、「仍状如件」と変わっているのは、先方の成氏が平の武家と異なり足利家一門であるから、敬意を表したに依るのである。とのことです。