御内書に伴う副状

御内書は多くの場合副状を伴うこと、前に挙げた足利義輝の御内書に就いて一言したが、副状が一通に限らず、なお多数伴った事例を示すに〔四四二〕の如きがある。之は享禄四年六月細川高国が、同晴元の部将三好一秀のために殺されたので、高国が擁していた将軍義晴が難を恐れて、近江長光寺に下っていたが、この不慮の変乱に関して、越後の長尾為景が見舞えるを謝するために出した御内書であり、之に内談衆大舘常興(尚氏)以下三氏の副状四通が添って行ったのである。とのことです。