東国のみならず、島津氏の如く全国的に印判が用いられるようになった

〔四九四〕は天正廿(文禄元)年九月七日、薩摩の島津家から霧島山領を寄附する為に出した所領目録であり、老臣町田久倍が出した形式であるが、袖に方三重郭印文「義久」とある黒印が捺してある。全体の形式から云えば、この部類に入る印判状である。島津氏は、西国の大名であり、室町時代の中期から琉球との通交上印判を用いていたが、領内関係のものには印を用いていない。然るに、この文書の頃になると、かく国内関係の文書にも印判を用いるようになった。之は当時東国のみならず、全国的に印判が用いられるに至った傾向に従ったものと思われる。とのことです。