室町時代中頃より公式の文書に干支を交えるものが現れてきた

この文書の本文書出しには、龍の朱印が捺してあり、この部類に入る印判状であるが、日附に注意すべき点がある。料紙は折紙である為に、月日の肩即ち附年号として、甲子と云う干支が付けてある。日附に干支が加えられることは、敢えて異とするに足らない。然し一般に干支を加えるときは、元号に依って表した年があって、それに附帯したものとして干支がくわえてあるのである。又かかる場合にも、多くは私関係の文書であって、公式に出る文書には、日附に干支を付けるものは先づ無かったのである。然るに室町時代の中頃に至ると、地方の大名の発する文書の中に、往々にして干支を交えるものが現れてきた。先に挙げた氏親、義元、信玄等の印判状にある、永正九壬申、天文十三甲辰、永禄三庚申とあるが如きはその例である。とのことです。