2024-07-09 広東附近と推定される西洋渡航の朱印状を受けた角倉了以 先に礼紙と申したのは、上包のことで、その上に更に杉原で整えた包紙があたのである。然しこれは今伝わっていないもののようである。尚ここに挙げてある渡航地西洋は、勿論今日云う西洋諸国のことではない。呂宋、民答那峨(ミンダナオ)、摩鹿加(モルッカ)、芠莱(ブルネオ)等を東洋と、東京、安南、交趾、占城、柬埔察等を西洋と称したと云う説が古くからあるが、之は必ずしも正しく無く、近時は支那広東省澳門、広東附近と推定している。この西洋渡航の朱印状を受けた人は、かの嵯峨の角倉了以であった。とのことです。