而してこの福徳の朱印は文禄の初頭迄用い、壺形の黒印は慶長三年頃迄用いている。この次に新に用いた印が、印文「忠恕」とある朱黒両印である。福徳の朱印と天正年間に於ける二種の伝馬手形の印は、恐らく今川氏の印の影響を蒙って作ったものであろう。形状等今川氏のものと酷似している。然るに壺形の黒印から家康独特の風趣が現れている。その形状に就いては後項で説くこととする。とのことです。
而してこの福徳の朱印は文禄の初頭迄用い、壺形の黒印は慶長三年頃迄用いている。この次に新に用いた印が、印文「忠恕」とある朱黒両印である。福徳の朱印と天正年間に於ける二種の伝馬手形の印は、恐らく今川氏の印の影響を蒙って作ったものであろう。形状等今川氏のものと酷似している。然るに壺形の黒印から家康独特の風趣が現れている。その形状に就いては後項で説くこととする。とのことです。