上部に像のある朱印と無い黒印を併用する関東の諸大名

(里見)義康は先に図版に挙げた印判状に見るが如き朱印を用いていたが、それとこの黒印とを併用していたのである。この黒印の印文も籠字で、大きさに相異はあるが、上部の龍を除けば朱印と同じ形様のものと云うことができる。先に述べた武蔵鉢形の北条氏郡(邦か)も、上部に象のあるものと無いものとを用いていた。又先に述べた下総臼井の原邦胤も同様の印を用いていた。関東諸大名の一部に印の用い方としてかような形式が共通に行われていたのである。とのことです。