信玄の没後、その喪を秘していたと云われるから、或いはこの印も信玄の生命の延長として、それと無く勝頼が襲用したように思われるけれども、此頃に至って迄信玄の秘喪が守られていたので無いから、かような推測は当たらない。当時印を父子襲用することは敢えて珍しくない。家印の如きは数代襲用していること虎ノ印判の如きがある。「晴信」の如き個人の名を印文としたものでは、一見不思議に思われるが、印文には拘りなく印を襲用したのである。花押でさえ父子その形を襲用するものが生じている。印影よりも印そのものを襲い所持するところに意義があるようになって来たと見るべきである。印は家系に伴う威権を伝承する什宝物としての働きを持っていたのである。とのことです。