花押を捺した判物に相応する印判状
〔五二六〕は慶長十九年八月朔日、徳川家康が家臣星谷才蔵に知行を充行う為に出した印判状で、日下に小判形印文「恕家康」とある黒印が捺してある。先に挙げた印判状にも日下に捺したものがあるが、右の勝頼、信長、家康の印判状は、同じ日下でも先のものと大分趣を異にしている。単に花押の代用では無いが、正しく花押に代るべき位置に印が捺してある。かようにこの時代には、印判状として独特の風趣を具えたものと、花押を捺した判物に相応するが如き形態を具えたものとの両様が起こって来たのである。花押を書いて出す判物よりは、印を捺して出す印判状が儀礼上軽く取り扱われて来た。之は後に挙げる日附に年号の記して無い形式の印判状に著しく現れた事実であるが、年号を記したものにも現れている。とのことです。