尚〔五二七〕は、慶長十四年七月廿五日、家康が和蘭国に向けて、同国の船舶が、我が国の諸浦に自由に来航して貿易を差支えなきことを許す為に出した朱印状である。朱印は「源家康忠恕」の五字を印文としたもので、日附の次行に捺してあるが、先づこの形式に入るべき文書と見做してよいであろう。かように日附の字面を避けたのは、特にこの印影を明確に知らせる必要があったからであろう。前説の如く、この朱印は異国渡海船の免許状に必ず捺すのであったから、右の如き必要も生じたことと推想される。尚充所が極めて低く書いてあるが、国内の文書の書礼から云うと、決して鄭重な書き振りでは無い。かようなところに先方に対する態度を窺うこともできるであろう。とのことです。